やっぱフィエスタよね!
https://www.walkerplus.com/event/ar0310e325729/
この度、フラメンコをしている方からのお声かけでぼくは、群馬県は中之条というところで行われるイベント【秋、酒蔵にて】という、ステンドグラス、金工、木、木漆、皮などを扱う職人さん達の展示会にてフラメンコをして来ました。
きれいなステンドグラス
金工細工
酒蔵の中にブースがずらり。
面白い時計がありました
今年はよく遠方でフラメンコをする機会が多い年であり、静岡、群馬、千葉、長野など色んなところで演奏してきました。
今回素敵な機会を頂いたのですが、本当に
フラメンコやっててよかった。
っておもった。
習い始めた時は暗中模索、何が正解かわからないし覚えることが多いし、踊りと歌も覚えなきゃならんし、技術のクセがすごいし、もう本当に大変だった。
それを、『好きだから』っていう理由でずっと勉強してって、今日に至るのだ。
フラメンコって、初見でもなんとなく、合わせることができる文化だと思うのだけど、フラメンコを通じて本当に色んな人と出会うことが出来ている。
たとえば遠方で演奏をするとして、
その場にいるお客様
その場を取り仕切るイベンターさん
その場にいる音響さん
その機会をくれたアーティストの方々
ご一緒するアーティストの方々。
色んな話をしたり、出会ったり、絡んだり、経験したり。
こうした経験をできるのは、色んな人たちと出会うことができるのは、フラメンコをしていたお陰であり、めげずに勉強していったお陰で、素敵な経験ができている。ということを本当に心からシミジミおもうのだ。だからフラメンコやってて本当に良かったなーとおもった。
関係者の方々、本当にありがとうございました。
これからも精進して行きます。宜しくお願い致します。
乾燥する時期になって来ました。
うがい大切。
子供の頃からこのカバ君たちが何となく大好きでした。
【画像は題名とは関係ありません】
さて、最近はパルマに力を注いでいるぼくですが、今までパルマについて怠っていた面がありまして、これを機にパルマを習ってみようと思い最近はパルマ練習に励んでます。パルマって、手を叩く事を言うんですが、どうやらパルマって手を叩くだけではないらしい。
またコンパスも然り。
質のいいコンパスと悪いコンパスがあるらしい。
コンパスが凄くても打つパルマでヤル気阻害されるような事もあるらしく、また逆も言えるとの事で、最近それを痛感するようになっている。
過去を振り返ると、そー言えばそうだな!と思った事も多く、口々に有識者の『パルマは大切よね』という言葉の意味を痛感しているのであった。
本日パルマレッスンを習いに行くなーとリマインダ開いて確認してた際に思い出した小話をひとつ。
〜〜〜
最初に一ヶ月くらいヘレスに留学して、何もかも刺激がヤバイ日を過ごしていたある日。
午前中でレッスンが終わり暇を持て余したぼくは、風の噂で聞いた近くにあるバルでペーニャが行われてるらしいという情報を元に、ペーニャ見がてらお酒を飲もうと思い、赴く。
その時はちょうどお昼前。あんま人が居なかった。5人くらいしかいなかったんだけど現地のフラメンコ好きなおじさんたちがいて、机コンコンしながら歌ってた。(おお、なんか、テレビで見た感じで、机叩きながら歌うんだなこいつら…!)と感心しながらお酒を飲んでると、流れで声をかけられギター弾けってなっていき、恐れ多い感じで恐縮しながら渋々目の前でブレリアの伴奏を弾いたときです。
すんごい、ビタッと気持ちいい所にきて、今まで聞いた事ないくらいしっくりくるいいコンパス、尚且つ優しくてつい乗っちゃういい音のパルマを、その地元のおじさんたちがし始めたわけだ。
なんだこれ
と思ったわけです。
その後、ぼくを含めた6人(後で聞いた話によるとみんな地元の人じゃなくて1人フランス人、1人はマスター、残る3人は近所に住んでるとの話だった記憶)夕方になるまで中庭で椅子で円を作りながら夕暮れ時までずっと『タランタはこうやって弾くんだよ』『ブレリアの音はたくさん聞いて感じるしかねぇな』など、色んなことを教えてくれた。
何が言いたいかというと、今まで聞いたことも感じたこともない滅茶苦茶ビタッとくるコンパス、パルマの中で弾くと、
超気持ちいい。
ということである。
そして
すんごいよく弾ける。
ということである。
・いいコンパスとは?
→どうやら、フラメンコ的にグルーヴを感じるリズムのことらしく、最初にみんな『コンパス感』というものを目の当たりにして、独特なアクセントだったり捉え方に躓いたり苦労したりするはずである。
そしてこのフラメンコのコンパスというのが、どの音楽にも属さない特殊なグルーヴ感を内在するものであり、
メトロノームで練習しても習得することができない厄介なものなのである。【あくまで僕の考えですが、、、】
そして人によってアクセントの捉え方が違ったり半分にとってたりと、感じるに当たって色々な『個人差』があったりしてさらに厄介。
でも、共通して【気持ちいい】と感じるものは同じなのである。
なんとなーく、イメージ的に山を想像…
この山の頂上に行くためには5つのルートがあって、それぞれA.B.C.D.Eとしよう。
どっから入ってもいいとして、
たどり着く頂上は同じなのである
【偉そうにごめんなさい。ぼくもまだまだ遭難中なんです。が、あくまできもちいと感じる場所の同じ感じを伝えたい】
いいパルマとは
どうやら手を叩けばいいというわけでなく、パリンと響く音であればいいという訳でもなく、とても一言では言えないけれど、『支えたり、押し出したり、包んだり、歩み寄ったり、抜いたり、』他にももっともっと意味を内在させる音をさせなくてはならないらしい。
ということに気づかされた。
たかが手拍子っていっても、これが楽器として武器として成立するには、かなりの年月が掛かるのは予想が容易い。
がんばってこー。。。
【最近はお風呂で練習してます。】
【久しぶりに立ち上げたiMovie】
(珍しく題名に関係ある写真)
このたび、ひょんな事から踊り伴奏の参考動画をつくる事になりました。
【タグを見ればわかっちゃうけど】
なんとなく自分の経験してきた事を優しく噛み砕き、模範的な動画をつくる事を目標とし、実践会を設けてやってみようという、僕にとってすごい新規なプロジェクト。
とてつもなく合理的で覚えるのに何年もかかる事が一瞬で覚えられる動画を製作しようと思い、有志に声をかけ作ってみるものの
なかなか難しい。
部屋の広さ
音響
アングル
その他諸々。
普段ぼくが気にかけて伴奏する事を、一画面に納めることは容易ではなかった。
そしてさらにPCの問題。
MacBookを使ってるのだが、OSSierraにしてからというもの、アプリが開かなかったり強制終了されたりと不具合のクセがすごい。
『せっかくここまでやったのに保存してなかったせいで一からやり直しや!』ということに何度か見舞われ、素手で地面を殴り地割れを起こしたくなる衝動と戦っていました。
アプリを血眼になり探してて、なんとかiMovieの古いやつがみっかったのでそれで編集。
たのしい
あーでもないこーでもないと考えて4時間くらいで作り終えた。出来栄えはまあまあ。
こだわってしまったら止まらないyoutuberの気持ちが分からなくもない感じでした【youtuberではありません】
そんなこんなで動画完成。
実践会が楽しみである。
ダンボールなのにすんごい本格的な燻製が作れる燻製キット
【本題名とは全く関係がありません】
ぼく、燻製が大好きなのですが、これは燻製好きにオススメ。
SOTO スモークキッド。
1000円しないのに、チップと食材、時間を凝ってうまく使えば超本格的な燻製ができる。
ただやるにあたっては都内だとまず
警察沙汰になります。
(煙がすごいのです。)
だからやる際は人気のないところで放置できる環境が必要。
その場にずっといると、煙の吸いすぎで自分が燻製のような感じになり、せっかくできた燻製が食べられなくなります【実体験】
とまぁ前書きはこの辺にして、今回はフラメンコのレマーテについて。
フラメンコっていろんな箇所に感動があって、『オレー』っていう部分があるんだけど、その1つの中に『レマーテ』というものがある。
レマーテってなに?
と言われれば、抜けるとことか貯めるところとか色々言い方があるが、一言で言えば
『ア〝ーィ』
の部分である【これが言いたかった】
また人によっては
『ベィ…』
であったり【これが言いたかった】
『ア〝ーーー』
【言いたいだけ】
とか
『オレー』
【無難】
のところである【言葉だけで見たら不気味に感じるよね】
フラメンコギターを始めてから色々な価値観の変動があって、始めた頃はピカード【早弾き】とか超絶技巧こそが全てでやらない奴はクソだ!みたいな感じに思ってたんだけど、
実際はそれも良いんだけど、そんな事なくて、
いろんなフラメンコ見て感動したり勉強したりする中で、
例えば踊りで言うならば凄い足捌きや、ギターでいう早弾きや超絶技巧というのは、レマーテという【頂】であったり、【峠】であったりする所に
【気持ち良く行く、又は乗り越えるための手段】
に過ぎず、むしろレマーテこそがとてもフラメンコにとって大きな醍醐味の1つだなーと、数年フラメンコを聴きあさる中で感じるようになってきた。
それは例えていうならどんなスイーツより甘く感じたり、どんな美味いものよりも美味しく感じたり、険しい山の頂に苦労してついた時に目に入る絶景を見たときの感動のような、、、どんな気持ち良さにも該当しない全く新しくて比喩的表現することが難しい特殊な感動が内在する。
【ちなみに登山はしません】
やったこと無いけど、脱法ハーブとかクスリを決めてる感覚ってきっとこうなのかなぁと思う。(やろうとも思わないけど)
モライート先生も踊るbuleria de jerez
https://www.facebook.com/100025357753143/videos/293122974876292/
ルイスペーニャ先生のこの感じ
参考動画にどうぞ〜
ターカターターターッベイ!!!!!
【言いたいだけ】
【強烈な親近感を覚えた弥生人のイメージ図】
(題名とは何も関係はありません)
最近踊り伴奏をするにあたり思うことが2つある。
ファルセータってそんなに要らなくねぇか?
【フラメンコといえば歌と踊りとギター!それぞれに主役になる場面があるんでっせー!】
というのが昨今のフラメンコの暗黙の共通認識。
だけど、なんか最近ギター弾いてて思うのは、
『踊り伴奏をするにあたってそんなにファルセータって重要じゃないよね、むしろ弾くことによって更に場や演者が盛り上がれる演奏の方が重要だよね、、、』
ということである。
歌い手に寄り添ったり、踊りを押し出すような音を奏でたりするってこと。
『いちうたおわってファルセータで、にうたで、、、タパでファルセータで!!』
てな構成よく聞く。
ギタリストって、最初とか特にファルセータ乞食みたいなのに陥ることが多くて、一にも二にもファルセータ!!ファルセータ命なんやで!!!!!!
てなってて、《構成でファルセータあると(待ってました)って心の中でガッツポーズするんだけど、そういう時に限ってうまく弾けなかったりするのは別な話。》
みたいな時期が凄いあるとおもう【ぼくもそうだった。】
レッスンに行けばファルセータ、ライブにいけばファルセータ、三度の飯よりファルセータ、、、、
でもフラメンコにおいてファルセータてそんなに重要ではなくて、フラメンコを感じる弾き方や音の方が重要だなと思うようになったこの頃。
ファルセータ弾くに当たっては、そのように【フラメンコを感じ取れる音】というのが重要だなって気付き、ただ習ったフレーズ、ただ考えたフレーズを頑張って弾くのではなく、踊り手も歌い手も命削ってフラメンコやってるんだからこちらもいのちけずってフラメンコ弾かなきゃ失礼に当たるな
と考えるようになりました。
ずっと思ってたんだけど、
踊り手さんてマジで普通に暮らしてたらあり得ない足の動き体の動きをしてフラメンコを出してる。
スペインから帰って来て踊りもやってみようかなと軽い考えでブーツ買って、知り合いに指導を仰いだけど、
五体がこんなに思うように動かないなんておもわなかった。
みんなサラってやって見える足捌きかもしれないけど、豆できたり足がめちゃくちゃ痛くなったり疲労骨折したり筋肉痛くなったりしながら血や汗を出しながら習得した、【フラメンコ】なのである。
だから敬意を払わなきゃならんなって思ったんです。
歌い手さんだってそう。日常生活では考えられないくらい声出したり、気持ちが入れば声帯なんてクソ喰らえみたいな声出すこともある。ぼくたちの共通言語は日本語で、スペイン語を操るのは難しいかもしれないけど、それでもレトラ1つ1つを考察したり、歴史を知ったりしながら、自分の中に培ったフラメンコの火種に火をつけてパチパチ燃やしていくように歌い、フラメンコを出してる。
僕はギターからフラメンコに入って、踊りや歌のことは二の次で三度の飯よりファルセータだった過去があるけど、
いろんな人が口を揃えて【フラメンコは歌だよねー】という意味合いを、最初はなんのことかわからなかったけど、今なんとなく気付けるようになってきた。
から、敬意を払ってギターを横で弾かなきゃならないなって思うようになった。
ここでファルセータの話に戻るけど、だからこそ『フラメンコ』を弾かなきゃならないなって事に気がつき、【ファルセータ弾いてください】って言われた際はより一層シビアに答えなきゃなってなる。
【話がまとまらなくなったので終わります】