桜が舞う頃にいつも思うこと
いやぁ、桜が綺麗ですねぇ
(ブログ1年以上ほったらかしにして何言ってんだよ)
最近ちょこちょこ聞くのが
『ブログ見てますよ!』
とか
『なかなか更新しないですねw』
みたいなお声を頂きます。
いやあもうありがてえよホント
ぼくの気の向いた時しか書かないブログを見てくれる人口がこの世にちらほらいる事がもう奇跡だよね、、、、、、
いやもうマジで1年以上すいません
(今も見てくれてる人いるかは分からん)
いまアクセス解析見てきたら2〜3日にいっぺんアクセス数がピョコって上がってるんですが見てくれてありがとうな
で、何を思って書いてるかというと、
4月になり企業が新年度を迎えて、街にカシッとした着慣れてないリクルートスーツを着た若者が溢れかえるこの季節、過去に僕もカタギとして新入社員として某スーパーに入社していた時期がありましてね。この季節になるとその頃のことをよく思い出すんです。
マジでクソ辛かったなって思い出を…
大学に進学して写真や音楽や広告とかに興味が湧いて
広報とか販促の仕事がしたいなあ…なんて漠然と考えていた当時、
髪の毛が赤だったり金色だったりV系なファッションだったりする友人たちが
みるみる黒に染まり就活ゼミみたいな外部ゼミやセミナー講師が大学に進入してきてた。
就活シーズン到来です。
当時外部講師やセミナー講師に言われて今も覚えてるのが
『就活は結婚と同じなんです。結婚する人はちゃんとしてる人の方がいいでしょ?離婚したくないでしょ?』
とか
『内定出ないやつは社会のレールから外れるんです!』
みたいなことを外部講師とかキャリアセンターの人とかに言われていたけど
いや全然そんなことねえよ?
離職(離婚)してる奴ゴマンといるし
内定でなくても社会のレールから外れねえからな?
むしろレールから外れたあたおかも含めて
社会が成り立ってるんだぜ!
と、今の僕ならいえる。
かくいう僕も今では立派に社会のレールから外れているあたおかです。
(ちゃんと確定申告してるし年金も払ってますが勤めてはいません)
話飛んだけど僕は20〜30社くらい就活をして、そのうち内定をいただいた場所が2社。その中の某スーパーマーケットに就職をしました。
まあスーパーなんで広報の仕事って訳も行かず、中の人からも
「中を知ってから広報に行くといいよ^ ^」
って言われたので、【社員が圧倒的に足らないから現場よろしくの意味】
精肉🍖鮮魚🐟青果🥦デリカ(?)🍛の中から
青果🥦を選んで配属が決まった。
(野菜とか扱う部門ね。八百屋みたいなかんじ)
同期の人たちとも仲良くなれたしいい人ばっかで毎日楽しく研修も一通り終えて
配属決まってスーパーで働くわけです。
まあああああああそれが辛かった
※ちゃんと働く前とか就活の時に調べなかったあたしもわるいんだけどね
4:30起床
5:00出発
5:30〜6:00出勤
12:00休憩
19:00退勤
みたいなかんじで、
業務内容は箱で何十箱もてんこ盛りに運ばれてきた野菜たちの袋詰めとか品出しとかを
ただひたすら何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日やるかんじ。
単純作業と終わらない業務に追われて熱出した時もあった。
でも最初配属された場所はすごいいい人に恵まれてて比較的楽しくできた。
4〜6月の間だったけど、今でも当時の人たちには感謝してる。元気してるかなあ。
結局その後配属された店舗で人間関係が全くうまくいかず
さらに業務もハードになりご飯も食べれず体重も1ヶ月で10キロ痩せて
精神も体も壊れて6ヶ月もいかずにやめてしまったのですが、
その当時強く『好きなことをやって生きていきたい』
と思った原動力が今の僕を作ってるのかなとも思います。
夏の炎天下の中で玉ねぎを袋詰めをしていると
客として入ってきた若者たちが、これからBBQするのでしょう。
僕の袋詰めした玉ねぎを1袋手に取り、男女キャッキャしながら
食材を選んでいるのが目に入った。
僕が毎朝4:30に起きて
朝から心と体を壊しながら袋詰めした玉ねぎです。
空は残酷なくらい青く澄んでて綺麗で
夏の日差しが視界を暗くさせてくる
世間は夏で盛り上がってる中で
僕は毎日心を殺して仕事をしてる。
そんとき思ったんですね。
『俺何してるんだろう?』って。
大学の頃僕はギターと写真が大好きで熱心に打ち込んでいた。
こんなにまでして心も体も壊して人間関係上手くいかなくて
親に高い教育費を払ってもらってこのザマかよと。
大学では就活で内定できない人は人権無いみたいな感じで言われて、
やめたらこの先どうするとかそんなのも分からなくて
分からないこともわからなくて
ただ目の前にあるじゃがいもや玉ねぎを
指先についた泥が洗っても落ちないくらいの量を袋詰めして
あーこのザマかと思った時に
『もう死にたい』
『好きなことをして死にたい』
『俺の人生でやり残したことってなんだろう?』
って考えた先に出てきた答えが
『フラメンコギターを弾けるようになりたいなあ』
だったんです。
あまり思い出したくも無い過去ですが、その時の決意があっていまがあるので、あの経験は僕に必要な人生経験だったんだなって、最近ようやく納得できるようになりました。
新社会人応援してます。
死にたくなったら
フラメンコギター始めるといいよ。
(極論)
お絵かきのトラウマ
年賀状は自分で白紙から書くようにしてます。
今年は牛なので牛肉に塩をかける人を書きました。
年賀状は来た人に返すようにしてるのですが、
今年は保険屋のおばちゃんからしか来なかったので、
ここに貼って絵を供養させてください。
お絵かき昔から大好きだったのですが、中学生のときに夏休みの宿題で理科の科目で植物のスケッチを出された際、めんどくさいのでおかんに書いてもらいました。【おかん、美術高校出身】
結果、入選して図書カード2000円くらいもらいまして。
今まで不真面目な俺のこと嫌いだった理科のオバサン先生が
「あなたもやれば出来るじゃない」
ってはにかんでぼくの肩を叩いた。
これがトラウマで、絵はあまり描かなくなりました。
最近はiPadでお絵描きするのにハマってます。
あけましておめでとうございます⛩
【2020】これからの自己表現について【コロナ禍】
【占い好きなんです。】
高島易断ってのと六星占術をとくに信じてまして。
高島易断はなんか昔からよく家にあったから、なんとなく読んで向こう一年がどんなか気になって読んでる感じです。詳しい事はわからないですがみてて楽しい。
六星占術は大学生の頃『占いの社会学』みたいな講義があって面白かったのがきっかけで自分で独学で勉強してある程度覚えまして、大体の目安をなんとなく見れるようになりました。
六星占術っておもしろくて、いろんな人のあれやこれやがなんとなぁぁぁく分かるし、適性適職や過去未来全部みえるからたのしいですよね。(まぁ40〜60%くらい当たります)
生年月日とテキトーなカウンセリングでなんとなく占えます(ケータイめっちゃみるけど)←意味あんのか?
〈見方がわかるってだけなのであまり期待しないでください〉
とまぁゴタクをのうのう書いてますが
もうコロナ参っちゃいますよねぇ!!!!!
(唐突)
僕の場合、生徒さんにギター教えたり、踊り伴奏教えたり、ライブしたり自分を売り込みに行ったりと、まぁ人に会う事がかなり多い肩書きを持っておりますが、
ほんまに困った一年でした。
- 自分がコロナかもしれん
- 他人がコロナかもしれん
- 気をつけててもなる
- なりたくてなるわけじゃない
- もうまじこわい
- ワクチンも効くのかどうか
とかもう不安山積みであかん。
このコロナ騒ぎで日本全国参っちゃいますよね状態になってます。
フラメンコ界隈でいえば、
- ガルロチ閉鎖(マジ衝撃)
- 集客絶望(そらそうだ)
- 慣れないライブ配信(最近慣れてきた)
- リモートレッスン(最近慣れてきた)
とかもう何とか文明の利器を駆使して現状を維持しようと悪戦苦闘しまくった一年でした。
・今後どうなっていくの問題
2020年色々あった中で、色んなものを見てきて思った事があるのでつらつら書きたく執筆します。(執筆してないけど)
・従来の集客ライブから、個々のライブ配信における自己発信の多様化
コロナの中でも頑張ってライブをしたりしてる中で、最近では色んなライブハウスでライブ配信を取り入れるところが増えてきた。
これからこのライブハウスでのライブ配信から、スマホ1つで可能なライブ配信アプリケーションが今よりもさらに強くなって、自己表現の場として先陣切る時代が到来するんじゃないかなーと思った。
【イチナナライブとか755とか】
大手のアプリケーションや有名どころは芸能人がかなり参入してますが、最近では素人でそこそこルックス良い感じの子が参入して新規ファンを集めてる様子。
これが路上ライブ化を生み、ギターの弾き語りや歌い手さんの活動の場になる日も近いなーと思った。(もうなってる)
機材を揃え、踊りや歌を入れてフラメンコをする事も可能だし、、、そしたら展望あるなと思う。
こういうナウイことに敏感でないといかんなと思いました。
それにはまずルックスよくせなあかん。
整形とダイエットだなこれは。
・あと2〜3年は続くコロナ問題
ワクチンが出来た!
ってようやくなってきましたが、個人的にはまだまだ続いてwithコロナの時代があと2〜3年、下手したらずっと続くんだろうなーって思います。
気軽に海外いけたり旅行行けたりしたのがホンマ奇跡みたいですよね。
でも考えてみたらさ、
遥か彼方、海を超えて山を越えて、別の人類が住む場所を気軽に行き来出来てたのってマジ奇跡だよね。
だって風土も気候も風習も住んでる人も動物も違うわけじゃん?
変なウイルスいたり病気あったりするわけじゃん?
こんだけ人が国を超えて行き交う時代で
よく今まで世界的に何もなかったなって思う。
SARSとかMARSとか、もっと昔ならスペイン風邪とかペストとかコレラとか色々あるじゃん。かつて猛威を振るってた訳じゃん。それで苦しい思いをした人も何人もいるわけじゃん。
それはたまたまそれよりも拡大しなかっただけで、拡大して今みたいにロックダウンしてた未来もあったかもしれん訳じゃん。
だからよく今まで大勢の違う人種が国を超えて山を超えて海を越えて行き来してたなって思う。
マジ奇跡だとおもう。
宇宙人が地球に攻めてくる映画でラストで宇宙人がバタバタ倒れてくってのがオチだった映画あったんだけど名前忘れたんだけど、
なんで宇宙人がバタバタ倒れてって打ち勝ったかっていうとウイルスが原因で、宇宙人が地球のウイルスに対応できなかったって裏設定があるやつがあったのね。名前忘れたんだけど。
宇宙人が倒れちゃうくらい、やっぱウイルスとか細菌ってハンパないのよね。映画の名前忘れたんだけど。
で、このコロナ騒ぎにめっちゃよく似てる映画があって、コンテイジョンっていうのがあるのね。
これまじ今の感じの流れとそっくりだから見てほしいのね。はじめしゃちょーが推薦してたんだけど、これ見て
『あー、こうやってウイルスって生まれてくるのね』
『あー、人類こうなるのね』
みたいなのがめっちゃ分かる。
このワクチン出来てる今の段階もまさに映画の中であって、まんま今のこと映されてて面白い。
さらに面白いのは、
この映画が2011年に作られてる
ということなのね。
だからこの年末年始でこのブログ読んだ人は見てほしいよね。(まぁこんな弱小ゴミカスブログみてる人なんていないと思うんですけどねー)
・リモートレッスンの多様化
今年になってリモートレッスンを頑張ってきましたが、電波状況や画面の大きさ、音ズレ、画質等で悩まされてきました。
これがかなり改善されて、めっちゃ捗る何かが生まれてくると思う。
ゆくゆく、1対100人のレッスンだったりセミナーだったりってのが円滑に可能になって、場所も取らない時代がそこまで来ると思います。
まぁ月並みの予想ですが、コロナに負けず、頑張っていこう。
【誹謗中傷】ネチケットの話【豆腐メンタル】
という、カリフラワー的なブロッコリー的な野菜。
フラクタルに並んでる自然界の神秘がギュッと詰まっていて美味しい野菜です。
こういう自然界の神秘的な造形美が好きで、
例えば蜂の巣の六角形、ひまわりの種の配列、雪結晶、トウモロコシの配列、ゾワゾワするし美しいし歪だし素敵だなって思います。
【ネチケットの話】
ネチケットって言葉、2000年代くらいからでてきましたよね。
ネット内のエチケット。ネットマナーとかそんな感じで、相手が読んで不快に思うことを表現するのは辞めようねみたいな話。
『キモい!しね!』とか『ばーかばーか!』とか
そう言うことを言っちゃあかんよって。ネットだから顔見ないしって思うけど、実際には人がちゃんと存在してて、それが伝わるんだよーって。
当時、2ちゃんねるとかフラッシュとかネット混沌期だった小4(2000年くらい?)くらいのときに学校にパソコンが導入され、そんなことを教えられた。
Windowsの3.5インチを開いて先生が泣きながら夜鍋しただろう教材をカチカチしながら授業聞いてたけど、なんも覚えとらん。
メールとかチャットとかが流行ってて、それからの時代はどんどん技術が加速してってるなーって体感がありました。
mova がfomaになって、J-phoneがボーダフォンになって、ツーカーがKDDIになって、なんかすげーなーって感じ。
新しい機種が2ヶ月毎にどんどん出て、はえ〜って思ってたり、好きな人とメール続けててRe:Re:Re:って長くなる毎に幸せになってたあの時代。
そんな頃から一通り、
・メール
・チャット
から始まり、
・前略プロフ(名前を十字架で挟むハンネを書いてた黒歴史をお持ちの方も多いはず)
・mixi(日記に痛々しい厨二病を拗らせていた黒歴史をお持ちの方も多いはず)
・モバゲー(アバター廃課金したりタイムラインに変なこと書いていた黒歴史をお持ちの方も多いはず)
と、いろんなものを見たり体験したりしてきました。(モバゲーはやったことなかった)
いまはFacebookとかInstagramとかTikTokとか、新しいものが主流になっちょりますよね。もうおじさんなので新しい事はわからんとです。
TikTokは可愛いねぇちゃんがぴょんぴょんしてて自己顕示欲が垣間見得てゾワゾワした為よくわからなかったからすぐに消した。
いろんなSNSが発達した現在ですが、
混沌、過渡期を過ぎ、聡明時代、新時代を迎えた現在もなお、ネチケットって難しいです。
初期までは『バカ』とか『アホ』とか『オタンコナス』とかわかりやすい事を相手に発したらあかんって感じでしたが、それからはややこしくなって
『受け取る相手が少しでも不安に駆られる、不愉快になる』ものもカウントされるようになってきました。
そんなこと言ったら迂闊になんも言えなくなるよね。。。笑
『不快です!』
って言ったもん勝ちみたいな風になりかねないし。
よーするに
受け取る側と発した側の抱く感情が複雑に絡み合う感じね。
なので、SNSに何か書く際は当たり障りないような文を書こうと注意をはらってるのですが、
いつどこで自分が相手を不愉快に、相手が勝手に不快になってるか分からない時代を迎え、
豆腐メンタルな僕はうかつにものを書けなくなっています。
(元々書いたりするのが大好きなのですが、うかつにSNSで書けないし、ビクビクしながら投稿するのに嫌気がさしたので、個人ブログであるここにつらつら書いてます。見てる人少ないし。)
今年はコロナ禍で緊急事態宣言が発令され、外出自粛が続いたり色々制限が続く災難な一年でした。
そんな中、迂闊に人とフラメンコを通じてコミュニケーションが出来なくなり、折角フラメンコの何かを掴みかけようとしていた最中の自粛により、どんどん自分の中で育まれていたフラメンコが薄らいでいくな〜と悲しい気持ちになっておりました。
『僕の中でフラメンコが薄れてくなぁ…』
そんなことをSNS上でぽろっと呟いたら
『お前みたいな人間がフラメンコが薄くなるなんて語るんじゃない。
基礎もできない、マトモに弾けないようなお前が〈薄くなる〉だなんて書くなんて俺からしたら笑止千万。
そんな事を書いてる暇があるんだったら基礎練の一つでもしたらどうなんですか?
今から毎日基礎練していれば、まぁ私の様には上手くはならないでしょうが多少は弾けるようになるんじゃないですかねぇ?』
みたいな事を返信してこられる方がいまして、
続けて
『私の言ってることは間違ってますか?今ならこの投稿消しても間に合いますよ?😊』
とまで立て続けに投稿してきました。
豆腐メンタルな私は、
ぐしゃぐしゃになった。
この一年で1番悲しかったし、1番辛かったし、1番泣いたし、1番憤慨した。
本文のままではありませんが、実際は上記以上にとっても辛辣な事が書いてありました。
とてもじゃないけどギターを触ったり弾いたりなんてできる心情になれず、いくつか有難いお仕事のお誘いもお断りしたくらい、
本当に本当に辛かった。
いやまぁ基礎難しいし真っ当に弾けるとは思ってませんよ?上手い人たくさんいるし、おこがましくて自分は弾けますってそんなこと言えたもんじゃないのは自分でもわかっちゃりますが…
・え、すっげー言ってくんじゃん?
・え、何様なん?
・え、あなた完璧なん?
とかもうぐちゃぐちゃになりまして。
なんで突然こんなこと畳みかけるように言われなきゃならないんだろう?とか、、、、もう当時はいろんな負の感情がぐるぐる巡り、本当に大変だった。
その中で、
もうSNSで迂闊に何か発言するのは辞めよう。
そう思いました。
ネチケットってすごく難しい。自分が攻撃しようと思わなくても他人が傷つくこともあるし、故意的に攻撃しようとして敢えて攻撃してくることもある。
ただ、この事を経て
・改めて考えさせられた『ネチケット』の重要性
・繋がりはあるといえど、人の本質や表と裏を理解するのは難しい
・SNS上の繋がりの『質』
・他人付き合いの取捨選択
・自分の発言への責任
などをとても考えさせられた。
SNSってページ持ってればすぐに繋がることができて、手軽で便利だけど、改めて考えてみるとさ、
・繋がってるから満遍なく
『友達』ってわけでもないし、
・お世話になってるって
わけでもない人もいるし、
・正直会ったことない人もいるし
・1〜3回くらいしか
会ったことない人もいるし
・めっちゃ好きでお世話に
なってる人もいるし、
・かけがえのない大切な人
とかもいるから、
その関係性は見事にバラバラである。
そして全員が満遍なく一定以上のネットリテラシーを持ち合わせているとは限らず、変な事を言ってくる人は言ってくるし、変な人は必ずいる。と言う事も改めて考えさせられた。
まだ自分の中でトゲトゲするものが残っており、まだ綺麗さっぱり乗り越えられてないし、フラッシュバックする事もたまにあるけど、
今回の件を
・人生経験として
・改めて考えさせられる『ネチケット』について
・SNSとリアルの関係性と難しさ
・他人との距離感
というテーマを考えたい為、どうしてもブログに書きたかった。
長々書きましたか、一言で言うと、
SNSって、難しいよね。
ってこと。
9月から放置してたので、
書きたいことが沢山あります。
ようやく書けた…
【経験】踊りと歌やってみた【必見】
(焼肉食べ放題でネギを頼んで出てきた時の衝撃写真)
フラメンコといえば
- 歌
- 踊り
- ギター
で、構成されております。
ギターやり始めてから、かれこれ7年目くらいになりました。(まだまだペーペーだ、がんばろう)
最近ではライブもチョロ……と出させて頂けるようにもなりまして、ほんまありがたいです。
んで、こんな性格キャラクターゆえフィンデフィエスタの際にギターを取り上げられて踊らされる事が非常に多い。
初めてやられたときは凄惨なアンパンマン音頭みたいな感じしかできず、酷く恥ずかしい思い出があったのですが、
不思議と楽しかった。
ギタリストって『弾けて当たり前』的な感じですし、特に注目浴びてオレーって言われることなんて新人公演とかくらいしかなくて、現実あまりない。
そんな中、いきなりギターを取られて前に出させられ、酷いアンパンマン音頭するとげらげら笑われてわーきゃー言われるのがとっても新鮮で楽しかったのです。(まぁ、踊れない人を踊らす、見せ物みたいなもんですね笑 それは自分でもわかってます。)
んで、その経験をしてから、だんだん
『踊りって一体どうやってるんや?』
『歌ってなにしとんや?』
って、だんだんライブや色んな場数を踏んでいくうちに歌や踊りに興味が湧くようになってきました。
ギターって、いろんなこと知らなあかんのですね。やってていつも痛感してます。
- 歌の事(そのレトラのコード進行や歌い手さんの音程に合わせたり、落ちどころを判断したり。)
- 踊りのこと(どういう系統の振り付けなのか、表が多いのか裏が多いのか、何を大切にしてる踊りなのか見抜いたり)
- ヌメロのこと(色んな曲種をパッと弾かなきゃあかん。個人的にティエントとシギリージャがまじで混乱する)
- ギターのこと(これは言わずもがなですが、どんなコードぶっこもうかなーとか、どんな旋律奏でようかなーとか、その場の対応)
- よきコンパスを出す(マルカヘとかレマタールとかコンテスタシオンとか、凄く重要)
- その場の雰囲気(ライブの全体の雰囲気やパフォーマンス等)
そんなこんなをジャカジャカ弾きながら考えてるんですが、踊りの人は、歌の人は、どう捉えてるのかなと思い、
実際に歌と踊り、習ってみた。
買っちまった。買っちまったよ!!!靴!!!!
で
実際学んでみてどうだったか書きたかったのです。
ただでさえ僕のブログは長いので
ささっと感想と気付いた点。
カンテ編
↓
・歌クソ難しい。まず音程、マルカール、自分の歌声に膝から崩れるほど幻滅。言語も違うしもう何もかもやばい。これを巧みに操る歌い手まじ凄すぎる。
・でも歌っててめっちゃ楽しい。ギターじゃ気付かないマルカールの仕方や捉え方が本当に勉強になる。声に出して感情を乗せ、レトラの意味をより理解できると、ギターや踊りも本当に違ってくるなと思った。
・歌やってる人は何曲もよくこんなに覚えられるな〜とマジで脱帽した。言い回しやクセがレトラごとに違う事があるし、ましてやヌメロが違ったらごっちゃにならんかと思った。あなたたちよく歌えるわねほんとって思った!!!
・人によりレトラや歌い方や意味の解釈が違っていて面白くて、それがその人のアイデンティティになるんだなと思った。
・知ってる歌にこんな意味があるなんて!って言う発見がかなりあった。
・なんとなく歌えると、お教室伴奏へ赴いた際に4〜6割くらいの完成度だけでもいいからなんとなく歌えておくとめちゃめちゃ感謝される。踊り手さんにとっては、ギターだけじゃなくて歌もあると、とっても助かる事が非常に多い。
・試しに歌とギターを弾きながら唱ってみる練習したけど、めちゃくちゃ骨が折れる事だなと感じた。両方をこなす人はたくさんいるけど、僕は頭がマルチタスクじゃないのでどっちか一個に『弾くなら弾く!歌うなら歌う!』って集中しないとあかんなと思った笑
・レトラの意味を理解して、歌い手の気持ちをわかって、感情が込めれるようになるまでは千里以上の道のりになるけど、千里の道も一歩から。ギターや踊りの人は絶対やった方がいい。絶対じゃなくて絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対やった方がいい。
・踊り伴唱をする場合、歌い手は、ギターと踊りとは全く違う視点、観点、感覚からその場を支えていることがわかった。
・レッスン受けるにつれて、こんなに目から鱗な事が学べるのは実に楽しいし、学んだ事でより歌い手に優しく歌い手を考えて伴奏しなきゃならんと悟った。
・これからも習う。
続いて踊り編
↓
・自分の体【頭、両手、両足、胸、腹、腰、ありとあらゆる所全て】がこんなに思い通りに動かないとは思わなかった
・レッスン4分で汗だく。これずっと踊り続ける踊り手の体力ってなんなの?体力おばけすぎる。
・振りもらってから自分で練習するわけだけど、自分のものになるまでの道のりと時間はマジで半端ない。
・フラメンコできるスタジオまじ少ないしスタジオ代バカにならないし衣装めっちゃ高いし靴高いしめっちゃ金かかるし自己投資ほんとしなきゃならないけどハマったら絶対抜け出せないのよなぁ…(みんなそう)
・踊り手さんと練習する際やライブする際に、こんなに命削りながら足すげぇことやってくれてるんだから、一回、二回みてすぐ弾けるようにならんと、こんなに練習に時間を費やし投資してる踊り手さんに何回も踊らせるのは失礼だなと思ったから、余計ギター頑張ろうって思った。
・振りには『なんでそうなるか』という意味が一つ一つ存在し、単に先生が目の前で踊ってるものを真似するだけでは理解できない。コンパスやヌメロごとの感じ方、フラメンコへの考察が無いと、真似はできてもそれが『フラメンコ』へ昇華することはまず無い。
・振りだけをとって踊れた気になってるのって、かなりあるなと感じた。(自分が踊れた気でいて鏡の前で一人でやってみて幻滅したという経験があった)
・『なぜここにそういう振りや動作がここに来るのか』から始まり、先生から頂いた振りを考察し、他者が同じ曲をどう舞うかを客観的に捉え研究して、フラメンコの踊りを自分なりに研究しないと、真に自分のものになるとは言えないなと思った。だから先生から頂いた振りをキチンと取って、その通りできるまで出来て、ようやく『スタートライン』
・プランタ、タコン、ゴルペの音の質がすごい。フリよりもまず質、そして色んな動画や振りを見て考察しながら、先生からの振りを頂くと、それは自分に掛け算形式に血となり肉となっていく。
・ベィが楽しすぎる【ここマジ重要】
・踊りゴリ楽しすぎる
・踊り手さんがその場を踊る場合、歌やギターとは、やはり全く違う視点や観点、感覚でその場に参加、支え、構築している事がわかった。
・歌やギターやってる人は絶対やった方がいい。絶対じゃなくて絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対やったほうがいい。
踊りと歌をやってみて
↓
・歌、ギター、踊りはそれぞれ、全く違う視点で考えてる事がわかった。その中でも通ずるのはレマーテとコンパスとアイレ。何が全く違うかは論争が起こりそうだし、自分自身具体的に言えないけどマジで勉強になるからやった方がいい。
・『踊り10年、ギター10年、歌10年』って昔古びた楽器屋の爺さんに言われた事があるんだけど、この10年はあながち間違ってないし、この10年は『平均を超えたスタートラインに立つ事ができる年数が甘く見積もっても最低10年』だったと言う事がわかった。【古びた楽器屋のジジイに言われたエピソードはいつか書きます。】
・『歌だけ』、『ギターだけ』、『踊りだけ』、しかできないのはホンマにあかんなと思った。3つのうち2つは最低でもある程度出来ないとな…と感じた。
・隣の芝生は青く見えがちだけど、それぞれの大変さ、苦労、楽しさを理解し、思いやれるギタリストになりたいと思った。
・ほんとにフラメンコって終わりがないし、死ぬまで勉強だなと思った。向き不向きはあると思うけど、経験として、糧として、血となり肉となる事象として、絶対経験するべきだと思った。
・ギターはもちろんだけど、これからも歌と踊りは勉強のためにやっていこうと思ったし、いつか何かで披露できるレベルにまで行けたらいいなと思った。
とまぁ、ささっと書きますって言った割にはガッツリ長くなってしまいましたが、
マジ大切。
ささっと書ききれない。
今年もあとわずか。