しろくまさんの日常

フラメンコギタリスト 北村海人のブログ

2024/02/21 ヘレス渡航手記 【6年の歳月】

 

 

おう、2年振りのブログ更新だ。

(ごめんなさい)

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今回40日間くらいのヘレス渡航をしてるので手記をここに投下していくことにする。

 

 

 

 


実に6年ぶりとなるスペイン渡航

今回はヘレスに40日間くらい滞在する。

 


2017.2018と来ていたが、金欠やコロナを理由にそれ以降は全く来なくなってしまっていた。

 

 

今年34の歳になる僕は、池川先生の所へ門を叩き丁度10年を迎える、ある意味節目の年となっており、色々感慨深いものがある。

 


今年2024を10年とするなら、門を叩いた年は2014年になる。(ここでは大学時代の歴を省略する)

 


2014~17の3年間を踊り伴奏の練習に費やし、そこから行ったという訳だ。

 


改めて2017.18を振り返ると、あの頃は本当に何も分からないで行ったなぁ、の一言に尽きる。

 


ひたすらブレリアしか弾かず、他の曲は何となく理解をして、マルカへの仕方やレマタールの仕方もなにもしらず、一心不乱にギターを弾いていた。

 

 

まずこの振り返りをして思うことは、当時の僕に教えてくれていた先生達である。へスス、アネ、アルベルト、池川先生。視野が狭くフラメンコのフの字も知らない僕によくここまで教えてくれたなと思う。

 


特に言及するのはへスス。彼はNiño Jero の血筋であるにも関わらず、僕がMoraitoが好きなためMoraitoのファルセータばかりを強請ってしまっていた。

 

その癖自分が弾けないと頂いたファルセータはやらずに居た。今考えればなんと失礼極まりないことをしてしまったんだろうなと思う、、、、

そんな僕であってもへススは一生懸命弾き方を教えてくれた。期待に応えてくれた。

 

沢山沢山教えてくれたのだ。

 

 

 

 


もうこれは「知らなかったんだ」の一言に過ぎないし、改めて知らないことは怖いことだということなんだな…

 


と同時に「知ってからやる」みたいなのはいつまで経ってもやらない要因にもなるし時間が過ぎてしまうからあまり賛成はできない。

 

 

 

 


知らなくてもとりあえずやって見て、後で分かった時に効果を発揮するんだ、くらいに思っておいた方がいいのかもしれない。

 

 

 

 

 


当初へススが教えてくれていた事は、当初の僕は「フラメンコギターのなんか良さそうなファルセータとかMoraitoのファルセータっぽいものなんだろうな」

 


としか思っていなかったが、今の僕は分かる。

 

 

彼が教えてくれていたのは

 

「ヘレスのコンパス感、ヘレスのノリ、アイレ、そして他ならぬフラメンコであった」と。

 

 

 

 

 

 

アネにはパルマやコンパスを主に習った。

 

彼の不思議な掛け声とセンスを最初に見た時はなんかよく分からないの一言で終わってしまった。

 


「なんかベイとかアイとか言ってるな」

 

ほんとにそんな感想で終わったのだが、後にこの学びがフラメンコにとっていちばん大切な

 

 

「コンパス感」「ハレオ」「センティード」

 

 

なんだと帰国後に分かるようになる。

 

 

 

フラメンコギターが好きでフラメンコの面白さが分からずフラメンコにはあまり興味がなかった僕が渡航先で一番最初に見たものは

 

 

 

「ヘレスの最先端のコンパス、ノリ、アイレ、雰囲気、」であった。

 

 

 

 

 

 

 


フラメンコって植物とかお漬物みたいなものだと思う。

 

 

 

桃栗三年柿八年

 


なんて言葉があるが、僕に当てはめれば

 


ブレリア10年フラメンコ一生

 


ぐらいかもしれない。

 

 

 

 


例えばファルセータを貰ったとする。それを一生懸命食らいついて先生から学び、弾けるようにして、弾けるようになってからは直ぐに現場でもどこでもパッと出るようにするまでが大変である。魂への定着の問題だ。現実可能なのか何時でも出来るものなのかは話が違う。

 


いつでも出てくるようにして、それを更に自分の解釈で自分の意志を持って弾けるようになれば、それは自分のものになる。

 

 

 


・先生から弾き方を目で見て耳で聞いて習う

・自分で練習して弾けるようにする

・現場でも直ぐに出るように沢山弾いて慣れる

・だんだん定着する

・自分の意思、解釈を入れていく

・本家をリスペクトする

 

 

 


という肯定を踏まないと、フラメンコってなかなか定着しない。C弾いて「わー!音出たねー!」だけじゃ済まされんのよな。くそ時間かかるから面白いのよフラメンコ。

 

 

 

 

 

 

 


今この手記を留学2日目の朝10:11に書いているが、外ではアンダルシア弁がバンバカ飛び交っていて、まるで他の住民が生活してるのを忘れているくらいの大きな声で何かを話している。

 

 

 


止まっているピソは外の音がとても聞こえて防音性が全くない。壁を隔てているだけみたいな感じがする小綺麗でいい感じの部屋だ。

ベッドが二つあり、僕は左のベッドで寝ている。

 

 

 

 

身長186センチのぼくには少し小さいベッドである。家の前の道に車が通ると、窓は閉まっているはずなのに不思議とコンクリのような埃感のある匂いがフワッと室内に遊びに来る。

 

 

 


こういった経験が多分フラメンコを芳醇にするんだろうなと思う。

 

 

 

 

 

 

さてこの渡航、なぜこのクソ円安で換金が苦しい今決めたかと言うと、本当に謎である。天からの思し召し?なんかそんな感じである。

 

 

 

 

 

 

 


「あ、行こう。呼ばれてる。」

 

 

 

 

 

 


そんな気がしたからというのが正解である。

僕が師匠の元で学ぶようになってから10年の節目であるが、今回の留学は、「答え合わせと次の壁」を探しに来た。

 

 

 


学び始めて3~4年でスペインに行き、たくさんの苗木を渡され、帰国後コロナを経て沢山分かるようになり、見えるようになり、出来るようになり、悩んだり克服したりした6年を経て、今日ここの外の音がうるさいピソでこうやってコチコチ書いている自分がいる。

 


その渡された苗木がちゃんと成長してるか、僕はこれで合っているか、進む道は間違えていないかを確認するためにここに来た。

 

 

 

 

 

そして次の壁は、カンテ伴奏とカンテである。

 

 

 

不思議と今カンテとカンテ伴奏に目覚めてしまい、それを練習しにも来ている。カンテについてはまたご縁のある人を探しに行くつもりである。

 

 

 

 


ご縁と言えば、人生ってご縁だよねって話をしたくなってきたけど、話が長くなるから割愛する。

 

 

 

そういえば、ヘレスに来るまでなん時間かかったんだろう。計算してみよう。

 

 

 


東京深夜1時出発、15時間後パリ到着、2時間トランジット、3時間くらいでマドリード到着、4時間待機してからレンフェで4時間陸路を移動してヘレスに到着。

 

 

 

 

 

 

だから

 


15+2+3+4+4ってことか。

 

 

 

 

 

 


28時間って訳だ。通りで疲れるわけだよ…

 

 

 

 

 

 

 

 

28時間掛けて来れるのはもう若さだなこれは。40.50代になってできるものでは無いかもしれんから、30代のうちに行っとこ…と悟った。

 

 

 

 


手記を書くことが面倒くさくなったのでそろそろ起きて行動を開始しようと思う。買い物行ったり片付けしたりしなきゃならない。これから帰国までどんな留学になるかな。どんな日々になるかな。

 


たのしみです。

 


みんなおはよう。