しろくまさんの日常

フラメンコギタリスト 北村海人のブログ

2024/03/06 ヘレス渡航手記 【言いたかったこと】

 

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さんみげる……だったはず

 

 

 

 

 

 

 

ヘレスに来て2週間くらいが経った。

あまりにも濃い経験と感動が1日1日重なり、処理するのにとても苦労する。

 

 

 

 

 

 


以下、あったことを書き記すことにする。

 

 

 

ヘレスに来てから確か3日目に、ギターの師匠であるJesusに再会を果たすことが出来た。

 

 

 

 

前回のスタジオとは場所が変わり、サンティアゴの奥の方へ引っ越したらしい。

 

 

 

 

久しぶりに彼と会い、レッスンはいいから飲みに行こう!となり2人で飲みに行くことになった。

 


イワシの酢漬けとミートボール、そして大好きなオロロソを頂き、約6年ぶりの再会に乾杯をした。

 

 

 

「今ぼくは日本でギター教えてるんだ」

 

 

 

「うそだろ!?先生なんか!??みんなに紹介しなきゃなんないな!おいみんな聞いてくれ!こいつは日本でギター教えてるんだぜ!!」

 

 

 

「やめてえええええええ」

 

 

 

 


などというからかいを受けたあと、ぼくはついに、言いたかった言葉をついに言うことが出来た。

 

 

 

僕の拙いスペイン語をゆっくり聞いてくれた。要約すれば、

 

 

 

「1.2回目の時の渡航の際、ぼくはSiかNoしかいえなかった。右も左もいえなかった僕に君はバカにすることなくたくさんのことを教えてくれた、だから僕は今日ここにいることが出来る。フラメンコが分かってきた今、あなたには本当に感謝をしている。何も分からなかった僕に大切なことを教えてくれて本当にありがとう。僕はヘレスが大好きです」

 

 

 

ということである。

 

 

 

ずっと心の奥にしまっていた言葉を言えた瞬間であった。

 

 

 

「気にするなよ、当然の事だあの時があって今がある、いい事じゃないか!」

 

 

 

なんて事を言ってくれた。

それから新人公演出たんだよとかライブしてるんだよとか、色んなことの6年分の活動報告をさせて頂き、レッスンをしてもらった。

 

 

 

悩みのうちの一つを明かした。

 


「ブレリアデヘレスが大好きなんだけど、それが出来ない。日本はヘレスじゃないしヘレスがない。車はあってもガソリンがなくて動かないんだ」

 


「そうだね。ガソリンが無いね。帰るまでに沢山のガソリンを入れよう!!」

 

 

 

 


そうやってギターのレッスンが始まった。

 

 

 

コンパスを教えてくれたAneにも、

 


「最初来た時ぼくはSi、Noしか言えなかった僕にたくさんのことを教えてくれてありがとう」

 


という事を言えた。

 


「何言ってるんだ当たり前じゃないか従兄弟よ」

 

 

 

みたいなことを言ってくれた。なんかあったらすぐに従兄弟や家族になれるのはここでの素敵な文化のうちの一つだなとおもった。

 

 

 

取り急ぎ、恩人へ挨拶ができたのが何よりの報いだった。

 

 

 

 


フラメンコは人生だし縁だと思う。

 


ぼくは最初この人達 JesusやAneに会えた事がとても大きかった。だから今があるし、ヘレスのノリが好きになってここまでやって来れた。

 

 

 

「袖振り合うも多生の縁」という言葉が好きです。

 


袖が触れ合っただけの存在でも、前世に何か縁があった人なのだという諺。

 


僕は前世や来世を信じてる人なのでこと言葉は刺さるものがある。

 

 

 

人って全部ご縁。

 


だから繋がるし、自ずと紡いで行けるんだと思う。

 

 

 

フラメンコは人生そのもので、ご縁を紡いだそれまでの轍や生き様そのものなんだと思う。後ろには今まで歩いてきた自分の足跡の轍があり、前にはずっと道が存在してる。そういうことだと思う。

 

 

 

 

 

 

 


ここに来て、ギターを弾くよりも踊りを踊った時の反応の良さがとてもすごいと感じることが多い。

 


「ちょっと踊ってみなはれや」

 


そうやって踊って、レマーテ終わった時の周りの歓迎具合が半端ない。これは一体なんなんだろう。

言語化がまだ出来てないが、10年近く学んできたギターをやるより、踊りの方が遥かに歓迎具合が1000倍くらい違う。

 


踊りをやったのは6年前セビージャに2週間滞在してた時にLuis peñaのオープンクラスに知り合いに誘われて行ったのが初めてだった。

 

 

 

 

 


それまで今思えば何がフラメンコかよく分からなかったのだが、彼がしきりに

 

 

 

 

 

「ベイ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って言ってたんだよね。そこから

 

 

 

「ベイ…ってなんなの?」

 

 

 

 

 

 

 

って言うところがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レッスンは本当に単純で、ブレリアで、その場から動かずタイミングが来たら3歩前に歩いてなんかポーズを取って「ベイ…」って言うだけの簡素なレッスンだった。

 

 

 

 

 

 

 


そこでめっちゃ人いたのにLuis以外の人間は「ベイ…」って言ってなかったんだよね。そこになんでか疑問が出来た。

 

 

 

 

 

 

 


「なんでベイ…って言わんのおまんらは?」

 

 

 

 

 

 


そう感じた。先生がやってる事は見様見真似主義だったのでぼくはのっけから「ベイ…」って言ってたんだけど、言う度に、Luisは静かに︎👍🏻 ̖́-としてくれて「それでいい…」と語りかけてくれた。

 

 

 

 

 

 


フラメンコやってるおじさんが「それでいい…」っていうならそれでいいのかァ…なんて思ってたけど、今思えばそれが全てだったし、その全てをあの時に授かったんだなって思う。

 

 

 

 

 

 

 


それから少しの間「ベイ…ってなんなの?」という問題にぐるぐる悩んでて、気付いたら出来るようになっていた。そこから「なんか踊りって楽しいなぁ」って思ったんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、友達にブレリアだけ、どうやったら踊れるか何となく教えてもらったり、自分で動画みて簡単な振り取ってみたり、タブラオで自分が弾いてて目の前で踊ってる人たちの振りを見て、なんか出来そうだなと思ったら何となく真似てみたりして、、、

 

 

 

 

 

 

 

みたいなことをしてたら踊りが大好きになった。

 

 

 

 

 

後にその踊りへの理解が踊り伴奏をやるに当たって滅茶苦茶効果的だったから、この気付きは本当に大きかった。

 

 

 

 

 


んで、ヘレスに六年ぶりに来て、フィエスタでチョロっと踊る機会を得た時に実践してみたら、もう反応がすごい。フラメンコに包まれてるしフラメンコに抱かれてる感じがするし歓迎されてる感じがあるし、こんなに手応えがあったのは生まれて初めてだった。

 

 

 

 


日本でやってたら、多分なんか大きい人がそれっぽいことしてて面白く見えるなぁって思われてるのかなとしか思ってなかったんだけど、現地に来て現地でやってみたらすごい暖かく包み込んでくれる周りを見て、僕のやってる事は間違いじゃなかったんだって確信を持てるようになった。

 

 

 

 

 


前述したが、この留学は今までの答え合わせ、そして新しい課題の模索である。

 

 

 

 


この答え合わせは僕にとって新しい1歩が踏み出せたと思う。

 

 

 

 

 


これからカンテ伴奏やフラメンコへの理解をもっと深めていくけど、頑張りすぎず、楽しんで学んでいきたいと思う。

 

 

 

 


色んなことがあったけど、まだまだ色んなことがこれから起こるんだね。

 


人生を芳醇なものにして、自分のフラメンコを芳醇に出来るように楽しんで学んでいきたい。

 

 

 

 

 

 


相変わらずピソは外の音が丸聞こえでうるさいし、きっと僕の生活音もダダ漏れなんだろうけど、それも楽しんでいこうと思う。

 


備忘録2週間目手記を終える。