昨今の近況報告② ファルセータについて
【強烈な親近感を覚えた弥生人のイメージ図】
(題名とは何も関係はありません)
最近踊り伴奏をするにあたり思うことが2つある。
ファルセータってそんなに要らなくねぇか?
【フラメンコといえば歌と踊りとギター!それぞれに主役になる場面があるんでっせー!】
というのが昨今のフラメンコの暗黙の共通認識。
だけど、なんか最近ギター弾いてて思うのは、
『踊り伴奏をするにあたってそんなにファルセータって重要じゃないよね、むしろ弾くことによって更に場や演者が盛り上がれる演奏の方が重要だよね、、、』
ということである。
歌い手に寄り添ったり、踊りを押し出すような音を奏でたりするってこと。
『いちうたおわってファルセータで、にうたで、、、タパでファルセータで!!』
てな構成よく聞く。
ギタリストって、最初とか特にファルセータ乞食みたいなのに陥ることが多くて、一にも二にもファルセータ!!ファルセータ命なんやで!!!!!!
てなってて、《構成でファルセータあると(待ってました)って心の中でガッツポーズするんだけど、そういう時に限ってうまく弾けなかったりするのは別な話。》
みたいな時期が凄いあるとおもう【ぼくもそうだった。】
レッスンに行けばファルセータ、ライブにいけばファルセータ、三度の飯よりファルセータ、、、、
でもフラメンコにおいてファルセータてそんなに重要ではなくて、フラメンコを感じる弾き方や音の方が重要だなと思うようになったこの頃。
ファルセータ弾くに当たっては、そのように【フラメンコを感じ取れる音】というのが重要だなって気付き、ただ習ったフレーズ、ただ考えたフレーズを頑張って弾くのではなく、踊り手も歌い手も命削ってフラメンコやってるんだからこちらもいのちけずってフラメンコ弾かなきゃ失礼に当たるな
と考えるようになりました。
ずっと思ってたんだけど、
踊り手さんてマジで普通に暮らしてたらあり得ない足の動き体の動きをしてフラメンコを出してる。
スペインから帰って来て踊りもやってみようかなと軽い考えでブーツ買って、知り合いに指導を仰いだけど、
五体がこんなに思うように動かないなんておもわなかった。
みんなサラってやって見える足捌きかもしれないけど、豆できたり足がめちゃくちゃ痛くなったり疲労骨折したり筋肉痛くなったりしながら血や汗を出しながら習得した、【フラメンコ】なのである。
だから敬意を払わなきゃならんなって思ったんです。
歌い手さんだってそう。日常生活では考えられないくらい声出したり、気持ちが入れば声帯なんてクソ喰らえみたいな声出すこともある。ぼくたちの共通言語は日本語で、スペイン語を操るのは難しいかもしれないけど、それでもレトラ1つ1つを考察したり、歴史を知ったりしながら、自分の中に培ったフラメンコの火種に火をつけてパチパチ燃やしていくように歌い、フラメンコを出してる。
僕はギターからフラメンコに入って、踊りや歌のことは二の次で三度の飯よりファルセータだった過去があるけど、
いろんな人が口を揃えて【フラメンコは歌だよねー】という意味合いを、最初はなんのことかわからなかったけど、今なんとなく気付けるようになってきた。
から、敬意を払ってギターを横で弾かなきゃならないなって思うようになった。
ここでファルセータの話に戻るけど、だからこそ『フラメンコ』を弾かなきゃならないなって事に気がつき、【ファルセータ弾いてください】って言われた際はより一層シビアに答えなきゃなってなる。
【話がまとまらなくなったので終わります】